壮大!スカイラブ計画
スカイラブ計画とは、アポロ計画で培った資産を有効活用し、地球軌道上に実験室を造る――という、壮大なプロジェクトです。
サターンロケットの第三弾S-IVBを改造することで、三人の宇宙飛行士が長期滞在できる宇宙ステーションを作成したのです。
3回に渡り打ち上げ実験を行い、計9人の宇宙飛行士が171日と13時間もの長期を宇宙ステーションで過ごし、期間中何百もの実験・研究を行ってきたのだといいます。
しかし、予算的な問題が関与してか、そのミッションの後スカイラブは無人で地球を回り続けることになりました。
スペースシャトルの完成とともに再度スカイラブを利用するはずだったのですが、シャトルの完成は大幅に遅れをとってしまい、大気との摩擦により軌道低下……結局1979年7月にインド用(一部オーストラリア)に墜落してしまいました。
予算の問題とはいえ、これほどのプロジェクトを放置させてしまうのは非常に勿体ないことですね。
ここで得た研究結果を、これからのアポロ計画もといプロジェクトに役立てていってほしいものです。
アポロ計画の開拓者、ウェルナー・フォン・ブラウン
ウェルナー・フォン・ブラウン、彼がいなければアポロ計画はもちろんのこと、私たち人間が月に到達するのが無理だったのでしょう。
ウェルナー氏は、中学時代オーベルト著「惑星空間へのロケット」にひどく感銘し、その後ドイツ「宇宙旅行協会」に設立当時から参加していたのだそうです。
オーベルトの元で熱心にロケットの研究に没頭しました。
その傍ら行っていたアルバイトのタクシー運転手の仕事中に、ドイツ陸軍のロケット技師を乗せたのをきっかけにし、軍の豊潤な予算を利用してロケットを開発する機械を与えられました。
北海に程近い秘密基地ベーネミュンデで5000人以上の技術者の指揮者に抜擢され、ついに世界最大の弾道ミサイルA-4を完成させました。
これはヒトラーの命でV-2と名前を変更され、第二次世界大戦中のロンドン空襲に使用されたのだそうです。
大戦の鎮圧後、ウェルナー氏は技術者を従え、多くの資料・部品とともにアメリカに投降しました。
そしてこの時ウェルナーに続かなかった技術者たちはソルビトに行き、後の二大ロケット大国が誕生したのでした。
この後ウェルナー氏は米軍にて「レッドストーン」「ジュピター」「ジュノーロケット」を完成させました。
そしてアポロ計画の要「サターンロケット」を開発し、ミッションを成功に導いていったのです。
アポロ中枢部(司令船)
司令船はアポロ/サターンロケットの中枢部に位置します。
3人(それ以上の場合も有)の宇宙飛行士たちは、この司令室で2週間の探査飛行へと旅立つのです。
そして最終的に地球へと帰還するのは、この部分だけなのです。
司令船は、外壁と内側の居住区画との二重構造をしています。
外壁のヒートシールドにはステンレス(ハニカム構造)を更にステンレスで挟んだ構造のものが使われており、太陽の熱や大気圏突入時の高熱から宇宙船を守ります。
この外壁の分厚さは僅か6.35cmから、薄いもので1.27cmであるといわれています。
内側の壁は先ほどのステンレス外壁と似た構造で、アルミ(ハニカム構造)をアルミ合金で挟んだ構造で造られています。
このアルミ製壁の厚さは3.81cm、薄いものになるとたったの6.35mmしかないのだそうです。
機内の構造はというと、大きく3つのパートに分けられているそうです。
ドッキングパネル,宇宙飛行士が滞在するためのキャビン,aft compartmentと呼ばれる領域。
aft compartmentには多くの機材が格納されています。
アポロ宇宙船概要
アポロ宇宙船の名称は、LES,CM,SM,LM,SLAの5つからなっているシステムの総称とされています。
そして、このシステムを月の軌道上へと導くのが「サターンV」ブースターです。
アポロ宇宙船には、2種類のバージョンが存在しているのだそうです。
一つは、初期段階での地球軌道上での機能テストを目的とした「BLOCK-1」です。
そして二つ目は、月面着陸を目的とするBLOCK-2」です。
BLOCK-1は、アポロ6号までの無人で行われたミッション(地上でのテスト中火災で失われてしまったアポロ1号を含め)で使用されており、アポロ7号からの有人ミッションでは全てBLOCK-2が使用されています。
また、打ち上げ時に非常事態が起きた時の為に「打ち上げ脱出システム(Launch Escape Subsystem)」というシステムも搭載されています。
このシステムは、打ち上げ時(または着陸時)に非常事態が起こった際に、司令船だけがロケットから切り離されLESによって遠く離れたところまで運ぶという画期的なものです。
100%安全に飛行士たちの命を保護するものではありませんが、いつも死と隣り合わせの飛行士たちにとっては強い心の支えとなるのでしょう。
アポロ11号ミッションをその目に
今から10年前には誰も信じていなかった事が10年後、現実になったのです。
このときに初めてテレビに食い入り徹夜してしまった――といった経験をもつ大人たち子供たちの何と多いのでしょうか。
また、同時通訳を通して見る映像の生々しさに触れたのもこの時だったのでしょう。
11号のミッションは当時の人たちにとってあまりにも衝撃的で、世界中の関心と注目を集めました。
実はこの11号のミッションがアポロ計画の分岐点だったです。
アメリカにとってのいわば「国家目標」であったアポロ11号の有人月面着陸のミッションは、この時点で達成されてしまったのです。
このミッション成功を境にして、アポロ計画は次第に話題や関心を失っていってしまいました。
しかし、研究や更なる計画への応用としては12号~17号までのミッションが、実質的貢献していたといわれています。
例をとると15号では月面探査車が走り、飛行士が三日間月に滞在し睡眠をとったり……等など、興味深い事柄ばかりです。